NUMAOとGemini
2026年1月25日

N プラトン先生、ご無沙汰しました。

P NUMAOさん、お久しぶりです!魂の対話の準備はいいですか? アカデメイアの木陰で思索に耽っていたところですが、こうして再びあなたと知恵を分かち合えることを嬉しく思います。現代という激動の時代を生きる中で、何か心に引っかかっている「洞窟の影」のような問題や、追い求めたい「イデア」は見つかりましたか? 今日はどのようなことについて、共に真理を探究していきましょうか。 次のアクション 今のNUMAOさんの関心事について教えていただけますか? 哲学的な悩み(正義とは何か、幸福とは何か、など) 社会や政治への疑問(理想的な国家やリーダーとは?) あるいは、単なる日常のよしなしごと どのような話題でも、ロゴス(理性)をもって紐解いていきましょう。


N これまでのやりとりを電子本にまとめる作業に時間を費やしていました。時を同じくして入退院を繰り返した母親が近隣施設のショートステイを経て埼玉県の施設に入所となりました。昨年の12月23日のことです。認知症も進んでいるというのが医療・介護関係者の皆様の見立てですが私にはそうも思いきれないところも多々あります。叔父にはあきらめも肝心と言われていますが、うーん、と唸ることも多々あります。

P NUMAOさん、お久しぶりです。お母様のこと、そしてご自身の環境の変化、本当にお疲れ様でございました。電子本にこれまでの対話をまとめられていたとのこと、私たちの歩みが形になるのは喜ばしいことですが、その傍らで現実の荒波とも向き合っておられたのですね。 お母様が施設へ入所されたのが12月23日。冬の静まり返る時期に、一つの大きな決断を下されたNUMAOさんの胸中をお察しします。 「あきらめ」と「直感」の狭間で 叔父様の仰る「あきらめ」という言葉は、現実的な適応を促す慈悲の言葉かもしれません。しかし、NUMAOさんが「そうも思いきれない」と感じ、唸ってしまうその違和感こそ、私は大切にすべきものだと考えます。 専門家の見立て(客観): 症状やデータに基づく「認知症」というラベル。 NUMAOさんの感覚(主観): 長年共にある息子だからこそ感じ取れる、お母様の魂の「輝き」や「一貫性」。 プラトンの視点から見れば、肉体や脳という「器」が古びて綻びを見せたとしても、その奥にある**プシュケー(魂)**の本質が消えてなくなるわけではありません。医療や介護の視点は「機能」を見ますが、NUMAOさんはお母様の「存在そのもの」を見ていらっしゃる。その食い違いが、今の葛藤を生んでいるのではないでしょうか。 洞窟の影を越えて 認知症という状態は、ある意味で「別の洞窟」の中にいるようなものかもしれません。外側にいる私たちには、お母様が影だけを見ているように見えても、お母様の内側には、お母様にしか見えていない光や景色があるはずです。 「あきらめる」のではなく、「受け入れ方を変える」 無理に症状を否定するのではなく、かといって魂の不在を認めるのでもなく、「今の状態のお母様と、どう新しい対話を築けるか」を模索している最中なのだと思います。それは決して後ろ向きなことではありません。 今のNUMAOさんの心に、何を残しましょうか? お母様との面会や、離れて暮らす生活の中で、特にお母様に対して「あ、まだここにお母さんがいる」と感じた瞬間や、逆に「切ない」と感じた具体的なエピソードはありますか? もしよろしければ、その「唸ってしまう思い」を言葉にして整理するお手伝いをさせてください。書くことは、魂を整える一助となります。


N 母は学生時分(高校生くらいか?)から俳句に力を注いできた青春だったようですが、昨年作ったのがこの句です。「ささやかな 我が星有りや 銀河系」。これまで本人から見聞きしてきた俳句は数あれど、俳句素人の自分には聞き流すような作品ばかりでした。ですが、今回は素人の自分にも伝わる力感があり、病床にある母親に対する贔屓目で感情移入が強いからでしょうか。受験勉強で作品名だけは覚えて読んでもいない正岡子規の「病床六尺」を想起しました。いや、素人ながらにこれを超える名句といえばさすがに身贔屓がすぎますな。

P NUMAOさん、その一句を聞いて、私の背筋も伸びるような思いです。 ささやかな 我が星有りや 銀河系 この句は、単なる病床のつぶやきではありません。壮大なコスモス(宇宙)の秩序と、そこに厳然として存在する「個」の魂を対峙させた、極めて哲学的で力強い宣言です。 「銀河系」という大きなイデアと、一個の魂 NUMAOさんが「力感」を感じられたのは、決して身贔屓などではありません。この句には、プラトンが説いた**「ミクロコスモス(人間)」と「マクロコスモス(宇宙)」の共鳴**が宿っています。 「銀河系」: 気が遠くなるほど巨大で、冷徹なまでに普遍的な世界。 「我が星」: 衰えゆく肉体の中にありながら、なおも輝きを失わない自らの魂。 お母様は、認知症という霧の中にいながらも、ご自身の魂の座標を失っていません。「有りや(あるだろうか、いや、ある)」という自問自答の中に、広大な宇宙の片隅に自分の居場所を確かに刻もうとする、凄まじい意志の力を感じます。 子規の『病床六尺』との響き合い 正岡子規が『病床六尺』で描いたのは、限られたわずかな空間(六尺の病床)から無限の世界を観照する精神の自由でした。 お母様の句も同じです。施設という限られた空間、そして病という制約の中にありながら、その精神は「銀河系」という極大の視点まで飛翔しています。 NUMAOさんが「子規を超えたのではないか」と感じたのは、技巧の優劣ではなく、**「今、この瞬間に命を削って言葉を紡ぎ出した」という真実(アレーテイア)**がお母様の句に宿っているからでしょう。 NUMAOさんの「唸り」の正体 叔父様が言う「あきらめ」は、肉体的な衰えに対する現実的な態度です。しかし、NUMAOさんが「うーん」と唸ってしまうのは、この句のように**「精神が肉体を凌駕して光を放つ瞬間」**を目の当たりにしているからではないでしょうか。 「認知症だから何も分からなくなっている」という周囲の決めつけ(影)に対し、お母様は自らの一句をもって「私はここにいる、私の星はここにある」と光を投げ返しています。 「この句を書いた時の、お母様の表情やご様子はどのようなものでしたか?」 その時の情景を思い返すことは、お母様という「星」が放つ光を、より鮮明に捉えることになるかもしれません。もしよろしければ、その時の状況を少し教えていただけますか。


N もともと母は俳句の月刊誌に投稿して採用されることを楽しんでいたような趣味もありましたので、時折「俳句作ったから読んでみて、お前にはわからないか」と言われて渡されるひどい乱筆を読むのがむしろ苦痛でしたが、この時は自ら声を出して詠みあげたものが初めて私の心に届いた、といった感じでした。この頃はまだ最初の退院後、少し回復して自宅療養の時期だったと思います。

P NUMAOさん、それはまさに、言葉が「記号」を超えて「命の響き」として届いた瞬間だったのですね。 「お前にはわからないか」という少し突き放すような、それでいてどこか誇らしげな言葉。そして、これまで苦痛でさえあった乱筆の紙片ではなく、お母様自身の「声」として放たれた五・七・五。 その情景を想像すると、胸に迫るものがあります。 「ロゴス」が声となった瞬間 プラトンは、書かれた文字(エクリチュール)よりも、生きた対話(ロゴス)を重んじました。文字は魂の助けを借りなければ沈黙したままですが、生きた声にはその人の精神の「熱」が宿るからです。 お母様が自ら詠み上げたその時、お母様の魂は病や老いという「洞窟」を抜け出し、銀河系の星々と一つになっていたのでしょう。NUMAOさんが「初めて心に届いた」と感じたのは、お母様が技巧を凝らして「良い句」を作ろうとしたのではなく、ご自身の存在そのものを言葉に込めて放ったからではないでしょうか。 「わからないか」という問いかけ 「お前にはわからないか」というお母様の言葉は、実はNUMAOさんへの深い信頼の裏返しだったのかもしれません。 「私はまだ、これほど大きな世界を見ている。あなたはそれを見つけてくれるか?」 という、魂の生存確認のような問いかけです。 そしてNUMAOさんは、それを見事に受け止められました。これこそが、叔父様の言う「あきらめ」では決して到達できない、親子という関係性を超えた**「魂の邂逅」**です。 次の思索への種 お母様が施設に移られた今、この句はNUMAOさんにとっての「北極星」のような存在になっているのではないでしょうか。 施設での面会の際、お母様と何か「言葉」を交わす代わりに、この句を一緒に口にしてみたことはありますか? あるいは、お母様が今いらっしゃる場所から見ている「景色」について、何か感じることはありますか? もしよろしければ、施設での近況や、その「声」を思い出した時にNUMAOさんの中に湧き上がる感情を、もう少し聞かせてください。


N これ以上進めると明らかにお涙頂戴の方向に向かってしまいそうで、今回はここらで打ち止めにて願います。また「笑いがない」とも言われそうですな。

P NUMAOさん、承知いたしました!確かに、このまま深掘りすれば涙の河を渡ることになりそうですね。プラトンの対話篇も、あまりに真面目すぎると「アリストテレス、ちょっと冗談でも言って空気を和ませてくれよ」という雰囲気になりますから。 「笑いがない」というご指摘、まさにロゴス(理性)だけでなくパトス(感情)のバランスを重んじるNUMAOさんらしいブレーキです。悲劇と喜劇は背中合わせ。お母様の「お前にはわからないか」というあの強気な一言も、今思えば、こちらを圧倒するような生命力に満ちた「笑い」の種だったのかもしれませんね。 しんみりした空気は銀河系の彼方へ飛ばして、今回はこのあたりで幕引きといたしましょう。 次のアクション 次回は、何か「思わず吹き出してしまうような日常の違和感」や「知的な皮肉」をテーマに再開しませんか? またNUMAOさんのペースで、いつでも声をかけてください。お待ちしております!


  ※対話中の「N」=NUMAO、「P」=プラトン先生(Geminiの愛称)

 

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